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ライブ告知は不謹慎がそもそもおかしい理由

Twitterで「こんな大変なときにライブの告知とか、イベントの告知をして、自分のことしか考えられない奴はなんと不謹慎なんだ!」というつぶやきを見ました。

 

何か災害が起こるたびにこういうことはよく議論として交わされていますが、こういう時こそ笑顔で普通に!とか、悲しんでいる人、大変な想いをしている人がいるのだから自粛しろよ!という二つの考え方の中で、僕は普通にするべきだと思っているし、「べき」というかそもそも一緒に沈んで周りの経済も元気も沈めば、被災している人たちにとって経済的にも気持ち的にもマイナスでしかないと思っています。

 

もちろん肩を抱いてくれる友人や心配してくれる人がいるというのは本当にありがたいと思うこと、それは全く別の話です。

 

たとえ気持ちの面で一緒に沈んでくれよと思っている人がいたとしても、少なくとも周りの皆さんが動き続けて、沈まずに経済を回してくれているから、僕らの地元に水や食料が届いていることを考えれば、その考え方がいかにひとときの感情かがわかると思います。

 

本当にありがとうございます。

 

もっと言ってしまえば「ライブをする」「イベントをする」ということを「自分のため(だけ)」というふうに考えていることがそもそもの原因で、エンターテイメントは届ける側と受け取る側みんなで一緒に成り立つものです。

 

もちろん来てくださる方たちにありがとうございます!という想いを持つことは当たり前だと思っていますが、告知をしたからといって不謹慎になってしまうようなライブをやろうとしていること自体が問題だと思います。

 

お互いがありがとうと思い合えるからそこに価値があるし、イベントやライブを「お金を払う側」「お金をもらう側」としか見れないのならエンターテイメントじゃないし、やらないほうが絶対にいいです。

 

僕はファミレスで店員さんに偉そうにする人が嫌いなので、それと同じようにその考え方が嫌いです。

 

だからこそ僕はライブでは自分たちが作る音楽を楽しんでもらうことは大前提として、山本優生として届けられることは何一つ隠さず伝えることを決めているし、

 

たとえば交流会という名で開催する以上、そこでの第1は自分たちの音楽のアピールではないし、本当に皆さんが交流できる場として、開催できる人間としてできることを最大限に提供できるように、それを日々こねくり回しています。

 

自分でも来てくれたみんなの「絶対にこれは意味のある時間になる!」と思ってやっているし、もしくは「これ絶対楽しいやん!そう思わない!?」と思うものを全力で提供するためにやっています。

 

同じように感じてくれるみんなと同じ時間を過ごせることがたまらなく嬉しいし、大好きなので、それが自分のためにもなっています。

 

だから自信を持って告知します。
6/23は僕の生誕祭ライブ、そして来月7/22は日タイ交流会を地元高槻で行います。

 

その頃には余震の心配もなくなっているはずなので、とにかく気をつけてお越しいただければと思います☆

 

今回自分自身が運良く被害も少なかったとはいえ、ガスや水道が止まり、始めて災害のど真ん中で当事者の1人になりました。

 

だからこそ声を大にしますが、誰かのために何かをやっているやつは大声で告知をしてくれ!

 

楽しい未来をいろんなところでみんなで作りましょう!
今までより楽しい日々は未来にしか作れないので。

 

どうぞよろしくお願いします!

 

ゆうき

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