第10話「それでもまだ」

その後ベッドの上で茫然としたまま、いつの間にか死ぬように眠りに着いていた隼は朝を迎えた。
隼の胸の中はどうすればいいのかわからずぐちゃぐちゃのままだった。
その中で唯一浮かんだ考えは真紀のところに行く。
ただそれだけだった。
行って何をするのか、何を言うのか、そんなことは決まるはずもなかった。
それでもそれ以外は何も思い浮かばなかった。

隼は学校に行くふりをして、電車に乗り岐阜へ向かった。
向かいながらたくさんのことを考えたが、そこには正解に近いと思えるものなど何一つもなかった。
岐阜に着き、真紀の家に向かった。
その何度も通ったことのある道は平日のせいか、やけに人通りが少なく感じられた。
真紀の家には真紀のお母さんがいた。

「隼です!」

インターホン越しに真紀のお母さんが驚いたのがわかった。

「隼くん学校は?」

玄関から出てきた真紀のお母さんはどこかに出かける格好だった。

「休んできました。真紀さんの病院教えてもらえませんか?」

真紀のお母さんは少し戸惑った顔をしたが、隼の表情を見てうなづいた。

「今から行くから一緒に行こっか。」
「ありがとうございます。」

ラジオから流れる音楽だけが響く病院に向かう車内。

「隼くん音楽とか聞くの?」

真紀のお母さんが気を使って話しかけてくれているのがわかった。

「はい。小さい頃からピアノもしてるんで大好きです。今流れてる曲とかすごく好きです。」
「そうなんだ。真紀もこの曲好きだからね。」
「そうですよね。」

内容はいたって普通だった。
それでもこれから二人で真紀に会いに行くという状況がその会話をぎこちなく聞こえさせた。
真紀の病室は三階だった。

「隼くん。明るくしてあげてね。」

上がっていくエレベーターの中で真紀のお母さんがそう一言だけ呟いた。

「…はい。」

隼も複雑な心境の中で小さな声で答えた。

病室に入ると真紀は眠っていた。
かける言葉が何も思いついていなかった隼は心のどこかでほっとした。
真紀の寝顔を一瞬だけ見て、二人はとりあえず病室を出た。

二人は休憩所で真紀が目覚めるのを待った。
そこで隼は真紀のお母さんに尋ねた。

「病気はいつからわかってたんですか?」
「二か月前に病院に来た時に検査してわかってね。」

二か月前はまだ真紀と連絡を取り続けていた時期だった。
真紀はしばらく、隼に隠しながら今まで通りにしていた。
そのことがさらに隼の胸を締め付けた。

「もう本当に治らないんですか?」
「…。」

真紀のお母さんは答えなかった。
隼はようやくそれが現実なのだと少しずつ実感し始めていた。
しばらく沈黙が続いて隼は質問を変えた。

「真紀さんと出かけることは出来ますか?」
「家にも帰れるみたいだし、少しくらいならできるんじゃないかな。お医者さんに聞いてみないとわからないけど。真紀が出かけたいって言うのならってことが前提だけどね。」
「真紀さんが出かけたいって言ったら、二人で出かけてもいいですか!?」

しばらく隼の眼を見て、真紀のお母さんは静かにうなづいた。
「ありがとうございます!」

そう強くお礼を言った隼だったが真紀をどこに連れていくのか、そして何を話すのかなど何一つ考えることは出来ていなかった。
ただ反射的にそうしなければいけない。
そんな気持ちが隼を動かしていた。

病室に戻ると真紀は目を覚ましていた。

「久しぶりやな。てかメール返せよな。」

隼は病室を出てから必死に考えた言葉と、出来る限り普段通りの表情で真紀にそう話しかけた。
真紀は驚いた表情で真紀のお母さんの顔を見た。
何も言わない真紀のお母さんを見て、真紀は顔を下にそむけた。

「…ごめん。」

そう一言だけ言って、顔を上げない真紀に向って隼は明るい声で続けた。

「ええよ別に。でもちゃんと言ってくれなわからんやん。信用してもらいたいから信用して何でも話してくれるんやろ?」
「うん…。ごめん…。」

真紀にそんな言葉をかけながらも隼は自分にもその言葉を伝えていた。
同時に真紀のことを信用できていなかった自分を責めていた。

「てかな、俺とどっか出かけへん?出かけることもできるみたいやし。」

真紀はもう一度、真紀のお母さんの方を見た。
すると真紀のお母さんは微笑んで、うなづいた。

「私も隼くんと出かけたい。」

さっきよりも少し大きめの声で真紀はそう答えた。

「ほんなら行こう。」

隼も笑顔で真紀のことを見た。

「じゃあお母さん聞いてきてあげるから、ちょっと待っててね。」

そう言って真紀のお母さんは病室から出て行った。
笑顔を見せていた隼だったが胸の中はまだかき回されたままだった。
勢いだけで飛び出してきたが未だ自分が何をしているのかさえいまいち掴みきれていなかった。
見た目には今まで通りの真紀が目の前にいる。
しかし、久しぶりに会ったその真紀は治らない病にかかっている。
ようやく会えたのに…。
実感なんて持てなかった。

医者の許可は少しの時間出かけるくらいなら、という回答だった。
まだ昼過ぎだったため、隼はその日のうちに真紀を連れ出した。

隼は自分でも不思議なくらい真紀に今まで通り接することができていた。
そんな隼に対して真紀も少しずつ以前のように接することを取り戻し始めていた。
隼には真紀が治らない病にかかっているなど思えなかった。
見た目にも少し痩せたかなという程度で変わらず、普通に自分の横を歩いている。
それがさらに実感を沸かせなかった。

「どっか行きたいとことかないん?」
「行きたいとこはたくさんあるけどそんな遠くは行けないでしょ?」
「せやなー。」

考え込みながら隼は近くに水族館があることを思い出した。

「そう言えばちょっと行ったところに水族館あったけど行ってみーひん?」
「うん。どこでもいいよ。」

少しずつ笑顔を取り戻していた真紀がほほ笑みながら答えた。

「じゃあ行こう。」

二人は真紀の体調も考え、タクシーを使って水族館に向かった。
小さな水族館だったが、アシカのショーやメインとなる大きな水槽があった。
隼は真紀が病気であることを忘れ始めていた。
おそらくその時は真紀もそのことを忘れて楽しんでいたんじゃないかと隼は思う。

「すごく大きい魚がいるよ。」
「こっちのはめちゃめちゃ小さいで。」

楽しそうに話しかける真紀に隼も同じトーンで答えた。

しかし。

次の瞬間真紀が急に寂しそうな表情で言った。

「この子たちってここを海だと思ってるのかな…。」
「…そやなー、そう思ってるんちゃうかな。」

そんな言葉しか出てこなかった。
何とか真紀のその寂しそうな表情を変えるような言葉を探したがそれに続く言葉さえ浮かばなかった。
しかし次の瞬間。

「…ここにいる魚たちは海なんか知らなくてそんなこと考えたこともないかもしれないけどね。」

真紀は表情を戻し、そう答えた隼を小馬鹿にしたように笑ってみせた。

「自分で言ったくせに何やねんな。」

隼も照れくさそうに笑い返したが、真紀が自分に気を使ってそう切り返したことに気づいていた。
真紀はそのあと一度も寂しげな表情を見せることなく、今まで通りに隼に話しかけていた。

隼はいつの間にか自分が励まされていることに気づいた。
普通に接することが出来ていたのは真紀の見た目などから実感が湧かないなんてことじゃなかった。
真紀のおかげだった。

その帰り道。

「今日はほんとにありがとう。めちゃくちゃ楽しかった。」

今まで通りに接し続けてくれる真紀に対し、隼は少しずつ普通ではなくなっていった。
それに返す言葉すら思い付かなかった。
その瞬間、隼は真紀の手を取り何も言わずにゆっくりキスをした。

「ほんならまた来るしゆっくり休むんやで。ほんで、ちゃんとメール返してな。」

どうすればいいのかわからない気持ちが隼にそう動かせた。
それは出会ってから約一年経って、二人が初めて交わしたキスだった。

「うん。ちゃんとメール返すね。」

戸惑った表情で真紀は答えた。
そのあと真紀のお母さんに挨拶だけをして、隼は大阪に帰った。

様々なことが頭を駆け回った。

素直に楽しかった気持ち。
励ますはずが自分が励ましてもらっていたこと。
キスすることでしか伝えられなかった自分の真紀に対する気持ち。
そしてそんな真紀を信じることが出来ていなかった自分。

一つだけ確かなことは真紀の病気が治らないということだった。
隼の目から涙が流れることがなかったのはその事実をまだ受け入れることができていなかったからだろう。
その日の夜も長かった。

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