第3話「大人になるということ」

 幼い頃から歌手になりたいとだけ口にしてきて、今考えればそこには何の根拠もないし、可能性すらなかったが心のどこかで月日の流れはその夢を勝手に叶えてくれるものだと思っていた。
月日が流れて大人になっていくということはそういうことだと思っていた。

小学生の頃見ていた中学生はすでに大人のようにさえ見えた。
高校一年生の頃に見ていた高校三年生は大人以外の何者でもなかった。
月日の流れというものは人を勝手に大きくしていくことだと思っていた。

そんな自分がその高校三年生よりも六つ年上の二十四歳になっていた。
それなのにその姿は自分の描いていた大人ではなかった。
少しずつ、でも確実に自分の年齢は思い描いている姿に追いつかなくなってきていた。
そこに追いつく為に、そして「夢」を「目標」に変えるために彼は走りだした。

そんな一人ともう一人。

 幼い頃から特にやりたいことはなくて、周りより得意だといわれることは絵を描くことくらい。その絵もいつの間にかそう言われることはなくなっていった。
熱心に取り組み続けてきたというものはこれと言ってなかった。
中学生の頃やっていたサッカーも高校では当たり前のように辞めたし、高校で入った軽音楽部もすぐに幽霊部員の代表の一人になった。

そんな生活を続けてきた彼も大学の3回生を迎え、周囲が就職活動でざわめき始めていた。

焦りと不安。

それらが入り混じって彼の頭を埋め尽くし始めていた。
でもそれは就職活動をしたくないだとか就職することが嫌だなんてことではなかった。
心の奥底に潜んでいる気持ちをやり遂げたいという想いがもどかしくて、でもそこに踏み込んでいくことのできない自分への焦りと不安だった。

それまでの彼は嬉し涙というものの感覚がわからなかった。

嬉しい時は笑う。

涙が流れるのは辛い、悲しい、痛い時だけ。
でもそんな時その感覚を感じさせてくれるきっかけが転がってきた。

「その曲なんて曲?」

歌手になることを夢見て、見よう見まねで初めて作った曲を部屋で練習しているときにもう一人がそう話しかけた。

「まだ出来たばっかりやから題名ないわ。」
「そうなんや。」

そんな会話がなされた数日後、部屋にはいつものように出来たばかりのそのたった一曲をひたすら繰り返す歌声が響いていた。
毎日同じ曲をひたすら聴かされているものだから必然的にその曲を覚えて口ずさむ。そこに初めて二人の声が重なった。

「なんやねんお前それ俺の曲やんけ。」

自分の歌が歌われているのを聞いて恥ずかしそうにそう言うと、もう一人も恥ずかしそうに返した。

「そんなけ毎日歌われてたら覚えてしまうわ。…。ちょっともう一回今のとこ歌ってみて。」

そう言われて歌い出すと今度はハモってみせた。少しの間ニヤニヤしながら二人は顔を見合わせていた。

「ええな。」
「うん。」

そうして彼らは共に同じ道を進むことを決めた。
それまでも同じ部屋で暮らし、ほとんど同じ道を歩いてきた二人だったが一つのことを一緒に志すというのは初めてだった。

そう彼らは血の繋がった兄弟である。

親は二人で音楽活動を開始することに反対した。
大学をそろそろ卒業する息子たちが二人して、今までほとんど経験もない音楽の道に進むと言い出したのだから無理もない。
厳しいと言われる音楽の世界を急に目指したいと言い出したのだから舐めていると思われても仕方がなかった。

それでも彼らの意思は固く、兄が30歳になるまでに家を出ても生活できる状態になっていなければ諦めるということを条件に何とか納得してもらった。
だらけて過ごした数年を残り約5年で埋める。
その頃の彼らにとってそれは一見容易いように感じていた。

五年もあれば何とかなる。

そう信じて走り始めたのであった。

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