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12.192018
言語習得は誰にでもできる理由【英語やタイ語の言語学習】
前回こんな記事を書きました。
[blogcard url=”https://yuru2010.com/2018/11/28/4420/”]
この記事を書いてからも毎日放送していまして、さらに約3週間が過ぎ、まだまだわからないことだらけですが、ようやく少しだけ余裕が出てきました。
知っている世界は全て見たのかもしれない
(この髪型がかっこいいと思っていた僕)
自分が日本語以外を話したいと思うなんて、今まで一度も考えたことがなかったのはまず「知らなかった」ということ。
知らないものに対して興味を持つなんてことはへそで茶を沸かすようなもので、急に「あのさぁ、たけしと結婚したい?」と聞かれてるわけです。
そうです。
あなたはたけしに会ったことはおろか、見たこともないわけです。
そこに「結婚」というサプライズワードがブチこまれたところで、悩むとかそういう話じゃなくて、そこには「選択肢」すらありません。
話を戻します。
つまり知らなければ新しい世界が訪れるなんてことはありえなくて、そこにあるのは今知っている世界だけ。
もししばらく楽しいことがないというのなら、もしかしたら「今知っている世界」は全て見てしまった可能性があるので、新しいことを知るといいかもしれません^_^
僕にとってタイとの出会いはそのひとつで、今まで知っていた世界の見え方も少しずつ変わりました。
気づいたら設定していた難しさのハードル
日本語以外を話せるようになることどころか、日本語以外を話したいとすら思わずに生きてきた約30年。
とはいえ、「英語話せたらかっこいいよね」そんなことを思ったことはあります。
でもその程度の思いでは話せるようにはならない。
そう!きっと今あなたも!そう思ったでしょう!過去の僕もそう思っていました!だから話すための勉強をしようとすら思ったことがありませんでした。
でも自分が勉強を始めてみて、「新しい言語を話す」ということのハードルを冷静になって考えてみました。
人間は大体3歳くらいから少しずつ話せるようになるそうです。(子育て未経験者にはわからないものです)
何も知らない、言葉という概念すら知らない、話せるようになりたいと思っているわけでもない、体もフニャフニャなやつが、たった3年で簡単な言葉を話し始める。
勉強材料は周りに聞こえる言葉だけ。
「文法」なんて何もわからないし、どこからどこまでが一つの単語なのかなんてわかるはずもない、それを教えようとはしない、なぜならその教える言葉すらわからないから。
学習環境、勉強量共に最悪の環境です。
それでもほとんどの人間は僕やあなたのように話せるようになり、大人になる。
それが真剣にやって習得できないわけがないです。
「言語習得」って数ある習得したい力の中で、きっと難しさは結構上に設定されてると思うんです。
でもすでにみんなしてきてること(日本語が話せる)を忘れて、勝手にハードル設定してしまう。
「子供の頃からとは違う」「現地に行かないと力は伸びにくい」いろんな言葉でその難しさは正当化されているように見えますが、それってつまり赤ちゃんより努力できないってことを言ってるだけでよく考えるとわけわかんないんですよね。
そしてそんなハードルは勝手に他にも設定してしまっていて、能力が上がっているはずなのに大人になればなるほど多くなる。
もちろんできないこともきっとります。
僕が今から100m走の世界記録を出すのは無理な可能性は高い。(もっと向いてることがきっとある)
でもやりたいなーって思ってるくらいのことなら、やればできるってことを過去の自分が証明してくれてるんですよね。
ナイス!
君が話せるようになってくれたおかげで、僕は今こうして文章が書けている。
ありがとう!赤ちゃんの時の俺!
出来ないのは諦める理由を考えることができる能力を手にしただけ
ここまで言ったら絶対に話せるようにならないと未来の僕が死ぬほど恥をかくことになるので、過去の自分としては頑張る覚悟を決めました。
毎日のFacebookライブはそろそろ3ヶ月が経ちますが、まだまだ十分に話すことも読むこともできません。
でもたった3ヶ月でできるわけがないことは人類が証明しています。(どんなに天才でも3ヶ月で話す赤ちゃんのニュースは見たことがありません。)
でも僕は毎日2時間やっていますが、もしそれが10時間なら、現在約15ヶ月の勉強量になっているわけです。
もしそうならそろそろ話せそうな気がしてきます。
結局全部そういうことで、やるかやらないかだけ。
だって僕は日本語が話せるし、タイ語を話せるタイ人は約7000万人もいます。
つまり才能がないと出来っこないようなものではないんです。
ほとんどの人が諦めるから倍率が高くなっているだけで、その程度なら誰にだって絶対できる。
世の中にはそんなことが溢れていると思います。
だからこそ「追う姿」「寄り添う言葉」だけじゃなく、ちゃんと「形にする姿」「引っ張られちゃう言葉」を追い求めていきたいです。
まだまだ頑張っちゃいます。
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