第1話「憧れ」

「下手くそが大きな音で歌うな!」

何から始めればいいのかさえわからない中、やっとの想いでやることを決めた路上ライブ。
まずは何が必要なのかを調べるところからだった。

マイク・スピーカー・それらをつなぐコード類・ギター。
ギターすら持っていなかった。
ギターを手にしてからはそのギターを弾くために教則本やカバー曲大全集なんていう本を買って勉強もした。

急に弦を抑えるために使われ始めた左手の指たちは悲鳴をあげた。
それまで茶碗を持つ程度にしか使われていなかったのだから仕方がない。
でもそんな経緯を誰も知る術は無く、知ってもらえたとしても誰しもに通用するものでもない。

 しかし日本では「表現の自由」というものが認められている。
憲法21条には「個々の言論活動を通じて、自己の人格を形成していくことと、政治的意思決定に関与していくという民主政に不可欠なこと、がある。この表現の自由は精神的自由権の一種である。」
と書かれている。

なんだか難しくてよくわからないが表現したいと思うものを他の誰かが邪魔することはできない。
簡単に言うとそんなところだろう。

詳しい意味なんてわからなくても一つだけわかっていることはある。
自由に表現してもいいということが他人に迷惑をかけていいということではない、ということ。
そんなことは子供の頃から親によく言われてきたことで当たり前のことである。

彼らはその日地元の駅前でマイクとスピーカーを使い、練習したてのカバー曲を大音量で一生懸命に歌っていた。
せっかく聞いてもらうのだから出来るだけ大きな音で。

もちろん誰からの許可も無い。

彼らが憧れるミュージシャンも元々は路上ライブの出身だという事やとにかく自分たちの歌を聴いてもらうためにはどうすればいいのかと考えた結果、彼らは路上ライブでの活動を開始した。
それでも誰も彼らの歌を聴くことはなく、人の足はいつも以上に速い。

そんな中で帰宅途中のサラリーマンに浴びせられた言葉。

「下手くそが大きな音で歌うな!」

何も言い返すこともできないまま、歌い出した3曲目の途中で彼らは初めての路上ライブを終えた。

意気消沈して帰宅した実家のテレビには今日も憧れのミュージシャンたちが光り輝くステージの上で拍手の嵐の中、賞賛されていた。

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