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第2話「まだ早い」
それから彼らはしばらく路上ライブをすることをやめた。ピカピカのマイク・スピーカー・それらをつなぐコード類。
それらは部屋の箱の中に入れられたままになっていった。
教則本などの本も少しずつ開かれる回数を減らしていった。たった一回の挑戦で彼らは進むことをやめた。
「まだ早い。」
その台詞だけを残して彼らは進むことをやめた。
彼らのその頃の日々の生活は夕方からバイトに向かい、バイト終わりには友達とカラオケやボーリングに行って朝方家族が起きる頃に家に帰る。
そして風呂も入らずに綺麗に干されたふかふかのベッドで昼過ぎまで眠る。
当たり前のように大学はサボって、シャワーを浴びてまたバイト先に向かう。
そんな生活の繰り返し。
親やバイト先が作ってくれているそんな環境での生活は何より楽だった。
友との自由気ままな時間はいつまでも笑顔でいられるような気さえしていた。
でもそこにあったのは「楽」だけで本当の「楽しさ」といったものではなかったように思う。
もちろん厳密に言えば楽しくなかったというわけではない。
でもそれは「単発的な楽しさ」の連続。
そんな表現が最適なのかもしれない。
それは何よりも人の助けなしでは成しえない「楽しさ」だった。
慣れた場所に留まる事は先のわからない道を進むことよりも確実に楽なことだと思う。
座り慣れた椅子に座ることと目的地がどこなのかもわからず走っていくことのどちらが楽なのかという、そんな対比すらできないものを比較するようなものだろう。
でも周囲が変わり続ける環境の中で同じ場所にいつの日までも留まり続けることができないということを誰しも分かっている。
崩れ落ちる部屋の中でその部屋の椅子にずっと座っていることができないように。
それを理解して、決心して進み始めたつもりだった。
けれど崩れそうにない部屋の中にある座り慣れた椅子を見てしまうとまた座ってしまいそうになる。
いつでも座れるその椅子の座り心地も知っているから。
そして休みの日には買い物に出かける。
その日も靴やらシャツやらアクセサリーやらなど様々なものを購入した。
流行りのものを身に纏い、この頃の彼らは今よりも確実にオシャレだと言われていただろう。
日本では「表現の自由」というものが認められている。それは自由に表現してもいいということが他人に迷惑をかけていいということではない。
そんなことは子供の頃から親によく言われてきたことで当たり前のことである。
その頃の彼らは見た目に気を使うことで精いっぱいだった。