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第5話「一人止まってくれた」
その初めてのライブから二日後彼らはもう一度路上ライブに挑戦することを決めた。
場所はまた同じ地元の駅前。
駅まで向かう車内で二人は一言も言葉を交わさなかった。
変な緊張感が車内を埋め尽くした。
何よりもすごく怖かった。
聞きに来てくれる人がいるわけでもなく、誰が聞いてくれるわけでもない路上で歌うことは当時の彼らにとってすごく勇気のいることだった。
初めての路上ライブでの出来事もその気持ちを増幅させる原因の一つだった。
駅前には夕方17時ごろ到着した。
彼らの地元の駅はなかなか大きな駅で人の往来も激しくたくさんの人に聞いてもらうにはうってつけの場所である。
すぐに以前演奏をした場所までたどり着いたが二人はしばらく固まっていた。
大きな荷物の隣で二人して、座っては立ち上がって、また座っては立ち上がってを繰り返す。
「そろそろ準備する?」
そう声をかけた弟に兄は緊張の面持ちでこう返した。
「いやまだ明るいし、人が多すぎるからもうちょい待とう。」
たくさんの人に聞いてもらいたくて路上ライブをすることを決めた。
それなのにその気持ちを緊張と自信の無さが上回り、そこに矛盾を生じさせた。
そしてそのまま時間は過ぎて辺りは完全に暗くなり、人通りは少しずつ減っていった。
その時の時間は18時半。
「そろそろ準備しようか。」
そう言ってようやく準備を始めたが準備をするスピードも遅かった。
マイクを一つ立てては辺りを気にした。
コードを一つ繋いではまた辺りを気にした。
いざ歌う準備ができたかと思えばそれぞれが順番にトイレに向かった。
そんなふうに時間を使いながら彼らがようやく歌いだした時、時計は19時を回っていた。
歌いだしてからも一曲歌っては休憩して、また一曲歌っては休憩してを繰り返して、歌い始めるあいさつもなければ自己紹介もしない。
歌い終わってから頭を下げることもなければ感謝の言葉を伝えることもなかった。
誰も聞いてくれていない環境ではそうすることさえ変に感じた。
喋ることさえむなしかった。
そして辺りは完全に暗くなり、人通りはほとんどなくなった。
「後もう一曲だけ歌おうか。」
そう言ってほとんど誰もいない中で二人は最後の曲を歌いだした。
曲の一番が終わったが周りには誰もいなかった。
それでも途中でやめることはできないという使命感のみで彼らは演奏を続けた。
少し長めの間奏からまた同じメロディが始まる。
そのメロディの構成が状況を変えないことを表しているかのようにさえ感じさせた。
しかしその時。
少し遠くの柱の陰でずっとこっちを見ている人がいることに気付いた。
そして彼らはさっき歌っていた時からその人がそこにいたことを思い出した。
さっき気付いた時はたまたまそこにいるだけだと思っていたが、もしかしたら自分たちの歌を聴いてくれているのではないかと思った。
少し長めの間奏の間その人の様子をうかがうように見つめていると目が合い、その人がほほ笑みながらうなづいた。
力が入った。
自分たちの歌を聴いてくれているのだと確信した。
使命感のみで歌っていた歌に届けたいという想いがどんどん乗っていくことが自分たちでもわかった。
その人は歌が終わるまでずっと聞いてくれていた。
歌い終わると彼らは自然と頭を下げた。
聞いてもらえることの喜びと自分たちの想いを届けられるという時間が自然とそうさせた。
演奏が終わり、その人は自ら近づいてきて声を掛けてくれた。
「すごく良い声ですね。CDは出してないんですか?」
母親ほどの年齢で帽子を被り、優しさが滲み出ているような笑顔の素敵な女性だった。そして握手をしながらこう答えた。
「ありがとうございます!CDなんてまだまだ作れる感じじゃないんです。まだ始めたばかりで…。」
当時の彼らはCDはもちろん、自分たちのことを伝えられるようなものを何一つ持っていなかった。
チラシもなければ看板もなかった。
聞いてくれていたその人にその場で自分たちのユニット名と歌っていた曲名などを告げた。
「頑張ってね。」
しばらく話をした後その女性はそう言ってその場を去った。
三時間ほど歌って一人の人が自分たちの歌をしっかり聞いてくれた。
たった一人。
でもそれが彼らの歌に理由をくれた。
意味をくれた。
歌を届けたいという気持ちをくれた。
届けられるのだという自信をくれた。
彼らはただただ歌を歌いたいというだけの気持ちで外に出て歌っているのではない。
もしそれで構わないのなら家やカラオケで歌えば良いのだから。
彼らは歌を聴いてほしくて、そして想いを届けたくて歌っている。
その女性がもしいなければ彼らはまたしばらくの間何もしなかったかもしれない。
彼らはこの日感じた想いをもし忘れてしまうのなら、人前で歌うことは辞めるべきだと思っている。
そしてそれから彼らは定期的に路上ライブを行うことになっていく。