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第8話「また朝が来てしまった」
それから数か月が過ぎ、夏は過ぎたが浩司は資格を取ることが出来なかった。
正確には試験を受けることもしなかった。
その理由は今の実力で受けたところで受かるはずがない、というものだった。
祐介は無理だと思っても何かわかることがあるかもしれないからと受験を勧めたが浩司はそれを拒否した。
祐介はその資格について詳しくなかったし、浩司の生活も聞いているだけだったのでそれ以上は何も言えなかった。
そんな中、約束をしていたように祐介は簡単な着替えとギターだけを持って、東京の浩司の家に泊まりに行った。
あえて平日を選んで、浩司が仕事している間は浩司の家で発声練習やギターを弾いて時間を過ごしていた。
祐介はその頃から作詞、作曲に挑戦を始めていて、東京に来たのは少し背伸びをした気持ちではあったが、新鮮な環境で曲を作ってみたいという気持ちからでもあった。
そんな日々を過ごしながら夜は二人でご飯を食べて、お互い溜まっていた話しをして過ごした。
五日間の滞在を予定していた三日目の朝。
祐介は目を覚まし、ぐっすり眠る浩司を起こすまいと浩司の目覚まし時計が鳴るのを携帯を静かに触りながら待っていた。
浩司の目覚ましの設定は六時半。
目覚まし時計は後十分ほどで鳴る。
そんな中祐介はこんな生活をこの東京の地で一人こなしている浩司を考えていると、自分の生活がいかに楽なのかということを痛感していた。
この頃の祐介の生活は起きるのは十時頃で昼を過ぎたくらいから本格的に動き出すというものだった。
この誰も知り合いのいない東京で六時半に目覚ましに起こされ、働いている浩司を見ていると自分の甘さに胸が締め付けられた。
祐介にとって目覚ましが鳴るまでのその十分間は凄く長い時間に感じられた。
カーテンの隙間からは朝日が差し始めているが、その朝日からは清々しさを感じることができなかった。
遠くのほうからはすでに一日を始めている人たちの車のエンジン音がかすかに聞こえている。
静かな時間。
その時間を遮るように浩司の目覚まし時計が鳴った。
単純な電子音が連続するだけの音だった。
目を覚ました浩司はその音が嫌いなことがすぐにわかる表情でその目覚まし音を止めた。
「おはよう。」
そう声をかけた祐介に浩司が少し時間を空けて一言つぶやいた。
「また朝が来てしまった…。」
浩司のその言い方が冗談を含ませていると祐介はわかったので、笑って言葉を返した。
「なんやねんなそれ。」
浩司のその言葉は慣れない環境で気を張り続けていた心が祐介が来たことによって少しほぐされたような、そんな意味合いもあったのかもしれない。
でも東京に来て急に動き出した心に体が少しずつ、ついて行けなくなってきているような心境も含んでいるようでもあって、祐介はさらに胸が締め付けられるような想いを感じていた。
二人で簡単に朝食を済ませてほとんど話しをする余裕もなく浩司はその日も会社に向かって行った。
「ほな頑張って。」
そう声をかける祐介に浩司は力なく返事をして、扉はほとんど音もなく閉まった。
「頑張れ…。」
閉まった扉の前で祐介はそう小さく呟いた。
その言葉は浩司にだけじゃなく、自分にも向けられていた。