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第5話「すべてが楽しくなる」
恵美は新社会人として仕事を始め、太一も新年度をスタートさせた。
離れてからも二人は毎日連絡を取り続けていた。
そんなある日。
「明日中学校の時の友達と飲み会があるんだけど行ってきてもいいかな?」
電話の最中に出来た少しの時間をここぞと埋めるように恵美が言った。
基本的には男の子とだって誰とだって遊びに行ってもいいと言う太一に対して、その程度のことを恵美が聞いたのには理由があった。
「全然行ってもいいけどどうしたん?さては元彼がおるなー。」
太一はそんなふうに少し笑いを浮かべるようなトーンで冗談めかして返した。すると恵美は言葉を濁らせた。
「元彼とかそんなんじゃないけど…。」
すぐに太一はその様子に気付いて一言だけ付け足した。
「別にいいよ。でも帰る時に連絡だけしてなー。」
そう言うと恵美は少し慌てたように返した。
「いや付き合ったというか、中学一年生の時に一瞬付き合ったみたいな感じで付き合ったうちには入らないようなレベルというか…」
「ほんまに元彼なんや。」
そう言って太一は笑った。
でも一言だけ付け足した。
「まあそんなこともあるやろ。気にせず楽しんでおいでー。」
そう言うと恵美も和らいだような声で返事をして、その電話は切れた。
電話を切ってから太一はゆっくり風呂に入った。
風呂から出るとアイスクリームを食べながらテレビをつけた。
少ししてからコンビニに行って、切れていたトイレットペーパーを買った。
その帰り道はコーヒーを飲みながら家に戻った。
そして家に戻ってベッドの上に座りながら恵美に短い文章でメールをした。
「明日終わったら連絡待ってるなー。」
もちろん太一だって不安が無いわけじゃなかった。
でもお互いがいつでも笑っていられるように。
付き合うということが少しでもお互いの楽しさを減らすことのないように。
この人といればすべてが楽しくなる。
そこに必要なのは不安よりも信頼すること。
だからこの人と付き合いたいと思ったのだから。
社会人としてスタートしたばかりだった恵美も会社での研修時間が終わり、本格的に仕事が始まっていった。
お互いの残業や付き合いで帰宅時間がばらばらになっていくことによって少しずつ二人が連絡を取る回数は減っていった。
正確には恵美からは毎日連絡をしていたのだけれど恵美の帰宅時間に太一はまだ働いていることが多く、太一がその連絡を折り返す時には恵美は疲れて寝てしまっているという具合だった。
そんな日々が続いていくうちに恵美からの連絡も減っていった。
これも連絡をしようと思わなくなったのではなくて、自分の仕事が終わっても太一はまだ働いているだろうからと後で連絡しようと思って、気付けば携帯を握りしめながら寝てしまう。
そんな具合だった。
折り返しの連絡はしていたものの特に用が無ければ自分からは連絡をしない太一だったが、鳴ることの少なくなった携帯を見る回数が増えている自分に気付いた。
今恵美は何をしているのだろうか…。
離れてしまうと相手のことが見えなくなって、繋ぎ続けていくことが難しくなってしまう。
単なる時間のズレ、タイミングのズレが心のズレのように感じられてしまって、そんな不安はいつしか苛立ちや投げやりを生み出して、少しずつ気持ちを冷ましていく。
でもそこに信頼があれば相手の姿が見えなくても頭の中に描き出すことができる。
だから太一は今まで通り特に用が無ければ自分から連絡をすることはなかった。
ある日の会社の飲み会の帰り、太一は帰り道が一緒だということで後輩の女性社員と二人で駅までの帰り道を歩いていた。
その時恵美からの電話が鳴った。
「もしもし。どうしたん?」
「いや特に何もないけど今日は連絡したいなって思ってて。今何してるの?家?」
「いや今飲み会が終わって今帰ってる途中やわ。」
「そっかー。電話大丈夫?誰かと一緒?」
「うん後輩の子と一緒やけど大丈夫やで。」
「後輩の子?女の人?」
恵美は少し冗談めかしたような口調でそう問いかけた。
「うんそうやでー。てかさこないだ言ってた休みの日なんやけど…」
そう簡単に返して太一は違う話を始めた。
恵美はどこか落ち着かない気持ちながらもその太一の話に合わせて会話を始めた。
そのままいつもどおりなんてことない話をしながら少しの時間が流れた。
「ごめん今から電車乗るからまた明日連絡するわ。ほな今日はおやすみ。」
そう言って太一は電話を切った。
恵美はどこかもどかしい気持ちの中で切れた電話を少しの間見つめていた。
でもそのもどかしい気持ちとは裏腹に毎日の仕事の疲れはいつの間にか恵美を夢の中へと連れて行き、気付けば時間を次の日の朝に変えていた。
その日は珍しく仕事が早く片付いて、定時を少し回った十八時半には会社を出た。
寄り道もせずに家に帰宅した恵美は家族との夕飯を済ませ、お風呂に入りテレビを見ながら太一の連絡を待っていた。
その時間は夜の九時。
そろそろかかってくるだろうと片時も携帯を離さずにリビングでの時間を過ごしていた。
しかしお風呂に入って休息を得た体は気付けばまた眠ってしまっていた。
はっと飛び起きて急いで時間を確認すると時間は夜十二時を回っていた。
リビングには家族の姿もなくなっていて一枚の毛布が掛けられていた。
でも太一からの連絡は入っていなかった。
まだ働いているのだろうか。
上司との飲み会に誘われたのだろうか。
考えられる選択肢はいろいろあったがそのどれにも確証はなかった。
三〇〇キロ以上も離れた場所ではその姿が見えるはずもなかった。
車で七時間以上もかかる場所の音は聞こえるはずもなかった。
その日はそのまま連絡はなく次の日の朝を迎えた。