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昨日もらった疑問に答えます

昨日TwitterのDMと公式LINEのメッセージを開放したところたくさんの応援メッセージといくつかのご意見がありました。

その中でこのような意見がありました。

今書かれているブログは受信者向け(ゆるさんのファン)と言うよりも発信者向け(僕みたいなクリエイター)に照準が向けられているような気がします(マネジメント、ブランディング、バズり方etc..)

その中にあった「狙いにいってあてた」という表現がなぜか心に引っかかっていました。

マジシャンに種明かしされてからマジックを披露される感覚だからだと思います
これから僕はYuruさんがめちゃくちゃに良い作品を出したとして、関心はしても感動はしない気がします。

それは「Yuru」というコンテンツを純粋に楽しめる人達を自ら減らす行為なのでは無いでしょうか?

送ってくれた方も批判ではないと書いていましたが、僕もこれは批判だとは思っていません。

直接返信もさせてもらったのですが、伝えたいことだらけなのでここにも書かせてください。




■タネのあるマジックで騙しながらする音楽

まず大前提に僕はタネのあるマジックでファンの方を騙しながら音楽をするつもりはありません。(これっぽっちもない!)

今までも散々言ってきたし、大切にしてきましたが、「こう思わせたい」「ぽく見せる」程度で作る音楽がありきたりなものになるのと同じように、自信を持ってどういう想いでやってるかを伝えられない活動、隠さなければいけない部分があるものに僕は魅力を全く感じません。

 

もちろん何でもかんでも言わなければいけないとは言っていません。

僕にも言いたくない恥ずかしいことだってあります。(毎日走っている理由はお腹が出てきそうな気配があったからということだったり、カバー曲で使ったセーラー服が部屋のクローゼットにかかっているのを見てそわそわしたりしていることなど)

 

そういうことと誰かに発信していることに対して、その背景にあることをその対象である人に伝えられないのは全くの別問題です。

 

何より大体どんな想いで作ってるかなんて、ほとんどのファンの方はわかっています。

 

そして「狙いに行ってあてた」というのはただただわかりやすく伝わる言い方にしたいという意図もありましたが、僕がここで言いたいのは「必要とする人のために、喜んでくれる明確な誰かを想って作った」ということです。

 

この表現はこちらの記事で書きました。
[blogcard url=”https://yuru2010.com/2018/09/28/3967/”]

 

「あたる」という表現は必ずしもたくさんの人に届く(バズる)ということだけではなくて、明確な誰かに伝えるために作っているということです。

そういう意味で僕は常に当てにいってます。

 

この記事に書いた日本語学習ソングで言えば、その人たちのことを直に感じて、その人たちのためになるものは何かと考えて、その人たちのために作りました。

言い方を変えるなら、その人たちに当たってほしいと思って作りました。

 

そして多くの人が喜んでくれました。

僕はそれが素敵な音楽だと思っているし、「誰かのために」作る音楽が増えてほしいと思っているので、それをクリエイターに向けて自分たちを例にしてわかりやすく書きました。

 

■プロデューサーが言うのはいいのに本人が言うのはダメ

でもこういう話はそもそもいろんなところで聞いたことがあります。

 

例えば数々のヒット曲を出している秋元康さんが、「AKBは今までになかったコンセプトで…」とか「競争を意識させることでファンも同じ感情になって、応援したい気持ちが高まる」とか言うのはいいのに、ミュージシャン本人がその作品を本当に届けたいから「こういう方法で多くの人に届けたい!」「こういう想いで作りました!」って言うのはなんでダメに感じてしまうんだろう。

 

つまり誰かに言われたことを素直にやっている人は認められるけど、それを自分で考えて自分で発信することはダメだということ

 

そこに最も大きくある理由は「そういうもんだから」なんじゃないかな。

 

その作品を作って行く過程、その道中でどういうことを考えていたか、それをみんなに共有することで、「発表日」だけじゃなくて、「毎日」を楽しくしたいんです。

 

「ちゃんと届けるためにこういうものを作りたいです」
「みんな!あの作品ちゃんと届いたよ!」
「やったね!次はどうしようか」

 

ましてや届けたい人に届けるためにこういうことをしたいと伝えてるだけで、作品(楽曲)の中には本当のことしか詰め込んでいません。

同時にクリエイターにとってもすごくためになる考え方や想いであり、自信を持って大切にすべきものだと思っているので、それを伝えたいと思っています。

 

■所詮音楽は嗜好品

きっとここまで読んでくれた方の中にも「いやわかってるけどそう言うことはとにかく聞きたくないんだよ」と思う方もいると思います。

 

それはそれぞれの楽しみ方なので、そう思う人たちに対して「俺のこの考えは正しい!」と押し付けたいわけじゃないです。

 

ただその議論は他にもあって、浮気されても知らなければOKか否か議論。

つまり死ぬまで隠し通してくれるならそれでいいというやつですね。

 

「知らずに死ぬなら良い。」

 

僕はこれが大嫌いで今までも何度か話してきました。

 

ましてや僕は浮気してるわけじゃない。(マジで浮気はしたことありません。)

 

毎日の糧にしながら、プラスになるものにしながら、みんなと音楽を作って、それを楽しみたいだけっす。

 

「こういう想いで作った曲」を「こうやってたくさんの人に届けたいと思う!どうかな!?」と伝えて、その作品を共に愛してくれる人たちと一緒にワクワクしながら、もっとたくさんの方に届けたいです。

本当にただそれだけです。

 

僕はそれがしたいし、そこにしか本当の繋がりはないと思っています。

 

そしてファンの方たちを超えて、これらの届け方がミュージシャンをはじめとするクリエイターたちに役立てばとも思っています。

 

おのれの音楽を届けることももちろん頑張っていますが、僕は本気で音楽全体を盛り上げたい。

 

なんで近年ミュージシャンや芸人さんより起業家やYouTuberの方が人気があるか。

 

それは「作られた作品」なのか、「本当のことを言って何かを伝えているか」の点が大きく違うと思っています。(もちろん全員ではないです。僕が思う全体的な話です。)

 

つまりタバコやアルコールなどの嗜好品なのか、本当に自分のためになるものなのかの違いに似ていると思います。

 

それは言い過ぎだろ!と思う方もいるかもしれないですが、そんなこと言いだせば本当にキリはなくて、お酒の中に養命酒みたいな体に良いものがあるように、僕はそれを一緒に楽しんでくれる人に届けたいだけです。

 

少なくとも僕は自分の作品を嗜好品で終わらせたくない。(全ての音楽が嗜好品だと言ってるわけじゃないです)

 

歌を歌う人。曲を作る人。歌詞を書く人。だけで終わるくらいなら、ミュージシャンじゃなくていいです。

 

自分たちが誰かのために作る作品を愛してくれる人たちと一緒にもっとワクワクする未来を作りたいです。

 

僕はそのために工夫だってするし、届け方だって考える。

それがちゃんと届いたあとにのみ、それが本当に感動するものなのか、大切なことを伝えてくれる作品なのかが決められると思っています。




 

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