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先日のブログに対してもらった声でそれは違うと思うこと

今日は昼からタイ好きが集まる会に声をかけていただき、タイ料理を食べに行ってきました☆
料理名は忘れましたがおいしかったです☆(鶏肉と生姜のやつ)


(話に夢中で写真はこの一枚のみ。)




 

先日のブログ、動画に対してたくさんの声を引き続きもらっています。
全てを受け止め、声をもらえることに感謝してます。
その中でこんなメッセージをもらいました。

 

ブログ読みました。
先輩にドロップキックされた…それは勿論ダメな事だと思います。
先輩だからと言って遠慮せずに 人間としてダメだと思ったらその場で言えばいいと思います。
それに、このブログを読んだ人が『先輩って誰なんだろう?』って興味本位で先輩探しをするし、『先輩が 自分が好きなアーティストさんだったら嫌だな』って不安になると思います。
それが事実だとしてもすべてを正直に言う事が正しいのかわかりません。
もやもやしています。

 

もし他にもこの方と同じように思っている人がいるのなら、僕はちゃんと伝える必要があると思うので書きます。(意見としてもらえたことありがたいと思っています。ほんとに!)

 

「なんでこんなことをされなくちゃいけないんだ!間違えている!」

たしかにその場で周りをねじ伏せてでもそう主張して、ケンカするくらいのことをすべきだったのかもしれません。

 

ただ大前提として僕が思うのはやられた側が「その場で相手に何か言ったのか」「何も言わなかったのか」とかいうことじゃなくて、そもそもそんなことは起こるべきでないということです。

僕は自分の考えが小さい世界しか見ることができなくなっていたことに気づき、変わりたい、そして変えたいという気持ちで、だからこそその場を離れて今進んでいます。

選ぶ選択肢もあれば、選ばない選択肢もあるということを自身の経験から学びました。

 

「それが自分が好きなアーティストだったら嫌」

 

第三者としてその気持ちはわかります。
でもだからと言って声を上げた人間側が批判されるのは絶対に違う。

 

例えばいじめられた子が「僕いじめられたんです」そういったときに、「そんなこと言ったら誰があなたをいじめたんだろうって考える人が出てきちゃうよね。そうなったらどうするの?それ考えてる?いじめてる人にも家族がいるんだよ?」って言ってるのと全く同じです。

 

それは解決したいんじゃなくて、波風を立てたくないだけ。
それでは何も変わらないです。

 

そしてそもそもですが、誰かを特定するようなことを言うつもりはないし、そんなことのために書いたブログや届けた動画ではないです。

 

単なるきっかけとして話しただけで、僕はかつての日々や、それらの出来事を通して気づくことがあり今があります。

 

その場に流され、我慢し、誰もが何かを始めるときにワクワクしていたはずなのにその感覚が薄れて、いつのまにか何のためだったかを忘れてしまっていたかつての僕、もしくは同じようなことで悩むあなたに今の僕が思うことを伝えるために書きました。

 

そしてあとこれはおせっかいかもしれませんが、好きなら信じるべきだと思います。

 

くれぐれも言っておきますが、素敵な先輩や仲間、そして素敵なライブハウス、イベントはたくさんあります。
でもまだまだ変えられること、そして僕自身まだまだ変わっていきたいことがたくさんあるので、本気で盛り上げたいと思っています。

 

そんな想いも込めて現在クラウドファンディングにも挑戦しています☆
引き続き頑張りますので、ぜひ見てみてください!

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